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東京高等裁判所 昭和54年(行コ)65号 判決 1980年11月17日

控訴人 金沢豊

被控訴人 平塚税務署長

代理人 梅村裕司 重野良二 ほか二名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

一  当事者の申立

控訴人は、「原判決を取消す。被控訴人が控訴人の昭和五〇年分所得税について昭和五一年八月三一日付でなした更正処分及び過少申告加算税賦課決定処分を取消す。訴訟費用は第一、第二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は、主文第一項と同旨の判決を求めた。

二  当事者の主張

当事者双方の事実上及び法律上の主張は、原判決の事実摘示中の「第二 当事者の主張(原判決二丁目表面六行目から同一一丁目裏面九行目まで)に記載のとおり(但し、原判決二丁目裏面四行目に「訴外大槻信夫」とあるのを「訴外大槻信雄」と訂正する。)であるから、これをここに引用する。

理由

一  請求原因1ないし3の事実は、本件土地建物が昭和五〇年七月三一日当時措置法三五条一項に定める居住用財産の譲渡所得の特別控除の適用を受ける家屋及び土地に該当するものであつたか否かの点を除き、当事者間に争いがない。

二  また、措置法三五条一項の規定の趣旨及びその適用等に関する当裁判所の見解は、原判決の理由説示の「二」の「1」及び「2」(原判決一三丁目表面一行目から同一六丁目裏面六行目まで)に記載のとおりであるから、これをここに引用する。

三1  そこで、本件土地建物が昭和五〇年七月三一日当時措置法三五条一項に定める居住用財産の譲渡所得の特別控除の適用を受ける家屋及び土地に該当するものであつたか否かについて、検討する。

2  先ず、控訴人が、昭和四六年四月一五日、本件土地建物を日本住宅公団から取得し、その後これを自己の生活の本拠としていたが、昭和四八年二月一六日、本件土地建物から平塚市山下九八三番地所在の社宅に移転し、以後右社宅を自己の生活の本拠として妻子(昭和四九年四月一〇日に長女が出生。)とともにこれに居住していたこと、及び控訴人が、昭和五〇年七月三一日、本件土地建物を訴外大槻信雄に譲渡したことは、当事者間に争いがない。

3  そして、右の争いのない事実に、<証拠略>を総合すると、次の事実を認めることができ、この認定に反する<証拠略>は、その余の<証拠略>に照らして、採用することができない。

(一)  控訴人は、昭和四六年に本件土地建物取得後、妻温子と結婚し、その後同所に居住するとともに、東京都千代田区内にあつた東京芝浦電気株式会社の秋葉原営業所に勤務していたところ、昭和四七年一〇月一六日、平塚市所在の右会社湘南電設営業所に転勤を命ぜられ、暫くは本件建物から右営業所に通勤していたが、通勤が不便であるうえ仕事の都合もあつて、昭和四八年二月一六日、妻温子とともに、平塚市山下にある前記社宅に転居し、同年三月二七日、平塚市長に対するその旨の届出も経由した。

(二)  控訴人は、右のとおり平塚市内に転居したが、本件土地建物は、日本住宅公団との約束により、原則としてその取得後五年間は他に譲渡することができないものであつたし、また、控訴人の湘南電設営業所での勤務も二、三年で済むものと考えていたので、右転居の当初は、本件土地建物を他に売却する意思はなかつた。しかも、転居先の前記社宅が本件建物よりも手狭であつたので、さしあたり不要な家財道具は、右転居後も、本件建物内に残置していた。そして、昭和四八年九月ごろまでは、週末などに妻とともに本件建物に帰来して宿泊したり、友人に宿泊のために利用させたりしていた。

(三)  しかしながら、昭和四八年秋ごろ妻が妊娠し、昭和四九年四月一〇日に長女智帆が出生し、しかも、その出生の前後何か月間かは妻が長野県下の実家に帰つていたことなどもあつて、控訴人及びその家族は、昭和四八年九月下旬ごろ以降は、本件建物に宿泊することがなくなり、同月二三日以降は、本件建物に対する東京電力株式会社からの電気の供給も全く停止されたままになつていた。そして、控訴人は、その後も時々、部屋の掃除、換気等のために本件建物に立ち寄ることはあつたものの、ガス、水道も殆ど使用することがなく、昭和四八年一〇月ごろ以降のそれらの使用料金の金額も基本料金額を超えることは殆どなかつた。

(四)  また、控訴人は、昭和四九年七月一〇日には、それまで本件建物に設置したままにしていた電話を平塚市内の前記社宅に移設し、更に、同年一〇月一日には、前記湘南電設営業所から東京都中央区銀座にある東芝空調事業部に転勤を命ぜられたにもかかわらず、その後も本件建物には戻らず、依然妻子とともに右社宅に居住し、同所から右転勤先に通勤していたものであり、昭和五〇年一月二八日には、東京瓦斯株式会社に対し本件建物へのガス供給閉鎖の手続をした。

(五)  更に、控訴人は、昭和四九年九月ごろから、本件土地建物を売却しようと考えるようになり、同僚や知人にその相談をしていたが、昭和五〇年三月ごろに至り、その売却を確定的に決意し、不動産業者に依頼してその売却先を探すとともに、その譲渡について日本住宅公団の承諾をも得た。そして、その後、本件建物内に残置していた家財道具を搬出するとともに、昭和五〇年七月中旬ごろには、本件土地建物を訴外大槻信雄に売却することを内定し、前記のとおり、同月三一日、これを同人に譲渡する旨の契約を正式に締結した。

(六)  なお、控訴人は、昭和五一年一二月に、日本住宅公団から取手市戸頭三丁目三二番二所在の宅地を購入し、昭和五三年一月までに、右宅地上に二階建の木造スレート葺建物を新築し、同年二月ごろ、右建物に転居したが、その転居に至るまで、平塚市内の前記社宅に居住していた。

4  以上の事実を総合して判断すると、控訴人は、遅くとも同人及びその家族が平塚市内の前記社宅に転居した後本件建物への電気の供給が全く停止されることになつた昭和四八年九月二三日以降においては、本件建物を自己及びその家族の居住の用に供することを完全に中止したものというべく(けだし、当今通常の日常生活を継続するためには、電気の供給は、水の供給とともに、最小限度の条件というべきであつて、電気の供給が停止された家屋内において人間の居住を継続するということは通常考えられないからである。)、そして、その後本件建物等を訴外大槻信雄に譲渡した昭和五〇年七月三一日までの間に、これを再び控訴人及びその家族の居住の用に供した事実はなかつたというべきであるから、本件建物は、右譲渡の時点においては、少なくとも一年一〇か月以上もの期間にわたり、居住者のいない家屋、すなわち空家になつていたものと認めざるをえない。従つて、本件建物及びその敷地の用に供されていた本件土地は、昭和五〇年七月三一日当時においては、措置法三五条一項に定める居住用財産の譲渡所得の特別控除の適用を受ける家屋及び土地としての要件を失つていたものと解せざるをえない。

四  そうすると、控訴人の本件土地建物の譲渡に係る短期譲渡所得について措置法三五条一項に定める居住用財産の譲渡所得の特別控除の適用を認めなかつた被控訴人の本件更正処分は、適法であり、その他に本件処分を違法とすべき事由は見出すことができない。なお、その理由の説明は、原判決の理由説示の「三」の「1」及び「2」(原判決二〇丁目裏面一行目から同二一丁目表面四行目まで)に記載のとおりであるから、これをここに引用する。

五  よつて、控訴人の本訴請求はいずれも理由がなく、これを棄却した原判決は相当であるから、本件控訴は失当として棄却すべく、控訴費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 沖野威 奥村長生 佐藤邦夫)

【参考】第一審判決

(横浜地裁 昭和五二年(行ウ)第一九号 昭和五四年六月二七日判決)

理由

一 請求原因1ないし3の事実(ただし、本件土地建物が昭和四八年二月一六日以降昭和五〇年七月ころまで原告の居住の用に供されていたとの点を除く。)は、当事者間に争いがない。

二 そこで、本件土地建物が措置法三五条一項に規定する居住の用に供している家屋及びその敷地の用に供されている土地に該当するか否かについて検討する。

1 措置法三五条一項は、居住用財産の譲渡所得の特別控除が適用される要件として、「個人が、その居住の用に供している家屋で政令で定めるもの」を譲渡した場合と規定し、右政令の定めとして同法施行令二三条一項は、「個人がその居住の用に供している家屋(当該家屋のうちにその居住の用以外の用に供している部分があるときは、その居住の用に供している部分に限る。以下この項について同じ。)とし、その者がその居住の用に供している家屋を二以上有する場合には、これらの家屋のうち、その者が主としてその居住の用に供していると認められる一の家屋に限るものとする。」と規定している。

ところで措置法三五条の規定の趣旨は、居住用財産を譲渡した場合、通常新たに居住用代替財産の取得がなされることと通常の居住用財産であれば特別控除額の範囲内で取得できるであろうとの配慮から、その譲渡所得について従前とられていた課税の繰り延べ(昭和四四年法律第一五号による改正前の租税特別措置法三五条所定の居住用財産取得のための買換の特例)によらず、特別控除という免税制度により、居住用代替財産の取得を容易にする趣旨に出たものということができ、また、居住の用に供されている家屋を譲渡する場合においては、不動産取引の実情からして、譲渡時まで当該家屋に「現に」居住することが事実上困難な場合も十分予測されることなどに鑑みれば、措置法三五条一項の解釈として、文字どおり「居住の用に供している家屋」を譲渡した場合、すなわち、譲渡時において現に居住している場合にのみ同条の適用があると解することは、妥当な解釈ということができない。しかしながら、措置法三五条は、譲渡所得の特別控除という租税負担の軽減を定める規定であつて、その解釈適用に当つては厳格性及び明確性が要請されるところ、同条が文理上「居住の用に供している家屋」と規定し、しかも、前記のとおり、同法施行令二三条一項がその適用範囲を限定し、現実に生活の本拠として居住の用に供している一つの家屋としていることからすれば、措置法三五条は、現に居住の用に供されている家屋について規定したものであることが明らかであつて、居住の用に供されなくなつた家屋も当該家屋の所有者が継続して居住する意思の下に従来これに居住し、将来にわたつて居住すべく事実的支配をしている場合には当然に「居住の用に供している家屋」に含まれ、同条の適用があるとすることは相当でない。

前記措置法三五条の規定の趣旨、同条の解釈適用上の要請等に鑑みれば、居住用家屋の譲渡として措置法三五条が適用されるのは、生活の本拠として現に居住の用に供している家屋を譲渡した場合、又は、譲渡時に近接する時期までこれを生活の本拠として居住の用に供しており、譲渡に至るまでの期間及びその間の使用状態などからみて、法律の適用上居住の用に供していると同視しうる場合に限られると解するのが相当であり、法律の適用上もはや居住の用に供していると同視できない程に月日が経過し、又は、居住用以外の他の用途に供している場合には、仮令、当該家屋が生活の本拠として居住の用に供されていたものであつて、爾後も継続してこれに居住するという主観的意思があり、将来一定の時期に使用することを予定し、それ相応の事実的支配、管理を行なつていたとしても、すなわち、原告のいう回帰的、潜在的居住にあたる場合であつても、同条の適用はないものというべきである。

2 ところで措置法三五条は、「災害により滅失した当該家屋の敷地の用に供されていた土地若しくは当該土地の上に存する権利の譲渡」の場合についても特別控除の特例を認めているが、これは、居住の用に供されていた財産について、居住の用に供されなくなつてからもなお同条の適用を認めようとするものであつて、現に居住していない場合にもなお「居住の用に供している」と同視しうるか否かの一つの判断基準といえるところ、同条の適用があるのは「その災害のあつた日から一年以内に」譲渡をした場合に限られており、また、弁論の全趣旨によれば、税務執行上「居住の用に供している家屋」を文字どおり解釈適用すると、居住用財産を譲渡するに至つた経緯、不動産取引の実情等に照らして相当でない場合も生ずるとして、税務当局では、本件通達のとおり「その居住の用に供している家屋(中略)を譲渡するため、その家屋を空家とした場合において、その後その家屋を貸付けその他業務の用に供することなく、その空家とした日から一年以内に譲渡したとき」は措置法三五条一項に該当するとして取扱つていること(なお、本件通達に基づいた取扱がなされていることは当事者間に争いがない。)を認めることができ、右取扱は極めて妥当なものといえる。

そして、右災害により滅失した居住用家屋の敷地に関する規定や税務執行上の取扱等に鑑みれば、特段の事情のない限り、生活の本拠として居住の用に供していた家屋を居住の用に供さなくなつた日から一年以内に譲渡した場合にも、なお居住の用に供していると同視しうる場合として措置法三五条の適用があると解するのが相当である。

3(一) 原告は、昭和四六年四月一五日、本件土地建物を日本住宅公団から取得し、以後本件土地建物を自己の生活の本拠として居住していたが、昭和四八年二月一六日本件建物から平塚市山下九八三番地所在の社宅に移転し、以後右社宅を生活の本拠として妻子(昭和四九年四月一〇日長女出生)とともに居住していたこと及び昭和五〇年七月三一日本件土地建物を訴外大槻信夫に代金九六五万円で譲渡したことは、当事者間に争いがない。

(二) 右争いのない事実に、<証拠略>を総合すれば、次の事実を認めることができる。

(1) 原告は、本件建物に居住して東京芝浦電気株式会社に勤務していたところ、昭和四七年一〇月一六日、平塚市所在の同社湘南電設営業所に転勤を命ぜられ、本件建物から右営業所に通勤していたが、右通勤が不便であるうえ仕事の都合もあつて、原告は、昭和四八年二月一六日妻温子とともに前記平塚市山下にある一戸建の社宅に転居し(その旨の転入届は同年三月二七日なされた。)、以後右社宅を生活の本拠として居住し、昭和四九年四月一〇日には長女智帆が生まれ、本件土地を譲渡した昭和五〇年七月三一日当時も、右社宅に親子三人で生活していた。

(2) 本件土地建物は、日本住宅公団との約定により原則として購入後五年以内は譲渡ができないものであり、また、平塚の営業所勤務は二、三年位で済むものと考えていたこともあつて、原告は、社宅に転居するに際し、本件土地建物を売却しようとする意思はなかつた。そして、平塚の社宅が手狭なこともあつて、原告は、転居後も不必要の家財道具は本件建物に残すこととし、昭和四八年九月ころまでは、転居先の平塚の社宅から週末に家族とともに本件建物に宿泊する等利用し、また、友人に利用させたりしていた。なお、その後も原告は清掃などのために時々本件建物に立ち寄り本件建物を管理していた。

(3) 原告は、転居後も本件建物に電話を置いたままにしていたが、社宅に電話がないのは不便であるとして、昭和四九年七月一〇日には本件建物から社宅に電話を移設し、また、そのころから近く転勤の見込もないことを感得するようになり、同年一一月ころには本件土地建物の売却を考え、同僚に話を持ちかけたりしていた。その後、昭和五〇年四月に至つて、ついに不動産業者に売却の申出をし、日本住宅公団の譲渡承諾を得て売却の話を進め、同年六、七月ころには本件建物から家財道具の搬出も終えて、同年七月末に本件土地建物を譲渡した。

以上の事実を認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(三) 右のとおり、原告は、本件建物から平塚の社宅に転居し、生活の本拠を右社宅に移した後も、本件建物に一部家財道具を置き、週末に立ち寄つて清掃したり、宿泊利用したりして本件建物を管理していた事実を認めることができる。しかしながら、右事実によれば、原告が平塚の社宅に移転した昭和四八年二月一六日以降も本件建物を生活の本拠としての居住の用に供していたとは到底認めることができない。

なお、原告は、<証拠略>によつて認められる都市ガスの閉鎖が昭和五〇年一月二八日であることを根拠に、本件建物を空家としたのは昭和五〇年一月であると主張するようであるが、前示認定の事実に徴すれば右主張は認め得ないし、仮に原告が本件建物を空家としたのが昭和五〇年一月であつたとしても、前記認定のように原告はこれに先立ち昭和四八年二月一六日ころに、本件建物から平塚の社宅に生活の本拠を移し、本件建物を居住の用に供しなくなつていたのであるから、右主張はその前提において採用に由ないというべきである。

そうすると、居住の用に供している家屋を空家とした日から一年以内に譲渡した場合について定めた本件通達の場合に該当しないことは明らかであり、また、原告は、前示のとおり本件建物から転居し、居住の用に供さなくなつてから二年五か月後に本件建物を譲渡しているのであるから、法律の適用上もはや居住の用に供していると同視できる場合に該当しないというほかはない。

結局、原告の本件土地建物の譲渡は、措置法三五条一項にいう「居住の用に供している家屋」及びその敷地の用に供されている土地の譲渡に該当せず、右譲渡に係る短期譲渡所得については同条による特別控除の適用はないものと解すべきである。

三 本件処分の適法性

1 本件土地建物の譲渡に係る短期譲渡所得の金額が、収入金額九六五万円から、本件土地取得費一七八万円、本件建物取得費二二〇万八〇〇〇円、譲渡費用三〇万円の合計四二八万八〇〇〇円を控除した五三六万二〇〇〇円であることは当事者間に争いがなく、前記説示のとおり、措置法三五条一項の規定による特別控除の適用はないから、同法三二条一項により課税短期譲渡所得金額は五三六万二〇〇〇円となり、右譲渡所得の金額に原告が確定申告した総所得金額(給与所得の金額)を加えてなした被告の本件更正処分には、原告主張の違法はなく、右更正処分は適法である。

2 以上の事実によれば、被告が国税通則法六五条一項に基づき、本件更正処分により納付すべき所得税額二一四万四〇〇〇円(一〇〇〇円未満切捨て。)に一〇〇分の五の割合を乗じて計算した金額に相当する一〇万七二〇〇円の過少申告加算税を賦課したのは適法である。

四 よつて、原告の本訴請求は、いずれも理由がないから、これを失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 小川正澄 三宅純一 桐ヶ谷敬三)

目録 <略>

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